よいこさんが、慢性腰痛になった経緯~その1。

腰痛闘病記・腰痛体験記…腰椎の椎間板ヘルニアからの慢性腰痛

 

腰椎の椎間板ヘルニアからの慢性腰痛・・・。

 

私、よいこさんが今、闘ってるいるのは

腰椎椎間板ヘルニアからの慢性腰痛』なんです

もうね、試行錯誤の毎日で痛みを治すために毎日アレコレホント、試行錯誤中です

 

私とネットでお友達になってくださった方たちは

きっと私の慢性腰痛はここ2~3年くらいの事(?)だっと思ってるかもしれませんね。

私はちゃんとお話ししてないから・・・。

だけど、実は痛みを発症したのは2012年の事なんです(隠してたわけでは無いのですが(^^;)

だからもう今年で9年になるんですよ💦

自分で考えても…長いなぁって思います💦

 

こんな事になるとは思ってもいませんでした

今は椎間板ヘルニアからの慢性腰痛で寝たり起きたりな生活になってしまってます。

ってか、夫が去年の3月初めからテレワークで毎日いるから

リハビリ散歩(外にお散歩に行くことをそう呼んでます)にも

出かけづらくなってしまったんですよね。

同じ辛い症状でも外に「リハビリ散歩」に出かけられれば

多少は体も軽くなって来たりすることが多いんだけど

それだけじゃなくて、ついでに痛みもついて来る(酷くなる)事もあるんです。

そんな時が辛いの……何が辛いって、散歩から帰って来て痛くなって

横になったりするともうね、ご飯の支度どころじゃなくなっちゃうんですよ。

ちょっとのリハビリ散歩で痛くなるなんて情けないと思うけど

実際、帰って来た時はもうベッドに崩れ落ちるように

もう倒れる様にベッドに横になる💦

そんな時はもう痛み止めを飲もうがどうしようが痛くてとても食事の用意さえも

出来なくなるんです(^^;

だから~~~夫がテレワーク(在宅勤務)で毎日毎日家にいるようになると

よけい顔色を見てしまって…夫がいるから「リハビリ散歩」は出来ないな…って

思う様になってしまいました。

入院した時の主治医の先生には『毎日、歩くように!』って何度も注意されたのに・・・。

 

体に痛みが出るまでは普通に生活していましたからね(^^;

その頃までは普通にパートに出たり

買い物にも子供の学校関係や子供の習い事などにも結構活動的に動いていました(^^;

一人息子が大学を卒業して、やれやれやっと肩の荷が下りた

これから少しは自分の為に時間を使いながら

仕事にも時間を使えるなぁって思っていたんですけどね・・・。

その矢先に・・・ちょっとね、息子の就職の失敗や夫との事が重なったりして

そんな時です、いきなり(?)痛みに襲われて動けなくなったのは。。。

 

よいこさん
よいこさん

精神的にも肉体的にも疲れてたのが原因?ってとある説で…。

スポンサーリンク

それはいきなり来た(と、よいこさん的には思ってた)んです💦

 

それは忘れもしない2012年のゴールデンウィークの事でした。

救急車で病院に運ばれたのは~~~( ̄▽ ̄;)

その年(2012年)は本当に大変な年でした。

お正月から・・・いや、もっと言えば前年から大変だったんですよね。

息子の就職関係で私はもうボロボロになっていました。

 

その前に・・・息子の事。。。

 

ちょっと愚痴になりますけど

ひとり息子の息子ちゃん、大学3年生になったら周りが就活始めるじゃないですか!?

なのに、本当に『のんびり屋さん』なんですよ(・。・;

周りの同級生は100社200社とエントリーしてるのに

5社とか7社とか・・・えーーどうしたの?って聞いてみると

「イヤ、就職はするけど、僕はほかにもやりたい事があるんだよ」

えー、どういうことなのぉ(・。・;もう何だかわからなくなって来てましたけど

 

どうやら一番仲の良い(幼稚園時代から大学時代までずっと一緒の
お友達も就職してないとかで・・・
イヤイヤ、そういう問題じゃないでしょ(^^;

以前話したときに
「大学卒業までは教育資金や生活面は面倒見るけど
そこから先は自分で頑張って生きて行けるようにしなさいよ」
って言ったでしょ!

って言ったんですけどね・・・。

当時、何故か彼の周りの仲良くしてるお友達数人は
それぞれご両親が実業家だったりして
我が家みたいなサラリーマンとは違う訳なんですよ💦

それは息子にも何度も言ったんですけどね。
Aちゃんは親が◆♡△Ω★※❤(^_-)-☆とか(要は実業家)言ってるし
Bちゃんは劇団に入ってるけど暇だし(でも自立して一人でマンションに住んでるんでしょ?)
って聞いたら、「うん、一人でマンションに住んでるけど親が払ってるよ」って
言ってました~~~「あーそっちもかぁ!(^^;」(経営者だった(^^;)

あ゛~!マジかぁ!!嘘でしょう!!!
って思いましたよ。
そういうお友達と一緒にいさせたくない(と言っても無理だけど)
から

そうだ幼稚園から中学まで一緒だったあのK君はどうなの
とか
小学校・中学校が地元で一緒だったNちゃんはどうなの?
とか
聞いてみたんですけどね
その子たちは大学には行かなかったので高卒で就職したから
話が合わなくなってるんだよ

って息子は言ってました。

う~ん、そっちの「高校で卒業して働いてるお友達の方がしっかりしてるじゃん」って
私は思いましたねぇ(^^;

 

*この場合は極端なケースかもしませんね。
たまたま息子の周りはそうだったってだけで。。。

 

この年にいきなり激痛がやって来たのだけど
どうしてもこの年の事を語るには息子の事を無関係には出来ないんですよ💦

 

よいこさん
よいこさん

息子抜きでは語れないこの年の私。

息子が大学卒業とともにプータローになった!

 

そんなこんなで息子は大学卒業しましたが

息子は余り就活に熱心ではなかったせいか

案の定お友達3人と共に大学卒業とともにプータローになりました・・・。

この時の私のショックとっ来たら…etc(‘◇’)ゞ

(その3年ほど前には夫が勝手に仕事辞めちゃって7か月間程プータローだったし(-_-;))

 

ちょうどそのころに私は両親を4年おきに亡くしており

両親が倒れてからは(母が先に倒れて・・・)

パートをやめて時々は車で両親の病院とか施設とかに様子を見に行ったりして

そのこと自体もそうだけど、その事に付随する夫の事でもアレコレとあり

そして、息子は息子で就活をしっかりしなかったせいで就職先も決まらず(そりゃそうだ!)

そんなこんなで私は心身共に疲れておりました。

(その辺の事も実は深い深ーい話があり、話せば長ーくなるので今回は省略します(^^;)

 

就職が決まらなかった息子は、仲良しのもう一人のお友達と

数日おきにハローワークとか出かけて行きましたけどねぇ。

新卒だからまぁ良い条件ではあるはずなんですけど

何ていうか・・・決まらないというか、決めないというか・・・

やりたいことがあるならあるで、バイトでもしながらその道に進むとか

色々あると思うんですけどね。。。。

……バイトはしないんですよねぇ(ってか、ほとんどバイトの経験は無いに等しい(-_-;))

 

『母はもうこれ以上はアレコレやってあげられないから

後は自分で~~~っ』て言ったのですよ。

まぁ、運転免許を取る資金とかも実はよいこさん(よいこさんの実家が)出してあげちゃったり

してるんですけどねぇ(^^;

 

それでも仕事を探してこない……って事は、お友達と二人で何しに行ってるんだろう

新卒ならハローワークでありそうなものだけどね。

そっちがその気なら母が自宅でPCで探すわ!

って事でハローワークやらマイナビやらリクナビやらで

私一人で探しまくりました…当時私もネットで入力のバイトとかをしていたので

それと同時進行でやってたのでほとんど一日中PCに向かっていた状態です(^^;

 

ある就職サイトで見つけて「ここはどう?」って言ってみたら・・・。

 

そんな事が1年くらい続いたある日

この企業はどう?中央線沿いだし、家からもそう遠くないよ…通えるんじゃない?

ってとあるサイトをプリントアウトして息子に見せたら

今回は「あっ、ここは良いかもねぇ」って答えが返って来た。

この答えを待っていたのよ、私は!

今まで何度も探しては「どう?」って見せては却下、見せては却下!って繰り返しだったしね。

そうとなれば話は早い。

一次面接・・・OK

二次面接・・・OK

で、年が明けて1月の最終面接~~~!

OK!合格だったぁぁぁぁ💓(思わず抱き合って喜びました)

美しい母子家庭~って感じですよぉ・・・あっ、一応父親らしき人もいたねぇ💦

 

で、その年2012年の1月末に就職先が決まり

2月1日には入社式があり・・・トントンと決まって進んでいきました。

やれやれです💓

ところがですよ…初めの3か月間は試用期間で研修期間な訳ですよ。

それは当然ですよね、わたし、管理人もそういう世界で生きてきましたから

息子もちゃんとその辺は分かっていると・・・思っていました。

 

三か月間の研修期間中の一か月で・・・や、め、た!(-_-;)

 

が、3カ月の試用期間中は本社ではなく他で(と言っても近くの多摩地区なんですけどね)研修なんです。

息子は営業で就職したのですが、商品を覚えるためには

研修期間にしっかりと商品に慣れておかなければ売ることは出来ない。

私たちが考えればすぐわかることなんですけど、大学卒業したばかりで世間を良く知らない子には

その辺が良くわかっていなかったようで・・・・もう行きはため息、帰って来てからは愚痴(・。・;

「俺は営業で入社したのに、現場に行かされてる」って感じなんですよね。

何度も営業でも商品を覚えなきゃでしょ!って言い聞かせてもなかなかねぇ💦

で、3月初めに「もうやめるって言ってきた。」って言うんです。

 

えーーー、まだ研修期間一か月しかたってないよ

私は焦ってどうにかこうにか説得始めました…研修期間が終わって営業に配属になるまで

頑張りなさい~~~って。。。

 

それをどこかで聞いていた夫が急にそばに来て(いつもは全く我関せずな夫がですよ!)
『お前は黙ってろ!もう決めた事だ!』って私をいつものあの形相で黙らせたんです・・・。
まだ直接の上司に言っただけで、決まったわけでも何でもないのに。。。

 

その日からなんです、息子も仕事に行かなくなり
私の心にもぽっかりと穴が開いたようになり。
私が今までしてきた事はいったい何だったの?

小さいころから(まるで一人で子育てして来たみたいな生活だったけど)いろんな習い事の送り迎え、パートの仕事(時には掛け持ちで)学童行事、学校行事、家事・育児・3才からのヤマハの送り迎え、塾の事などなど・・・。

全部一人でやって来た~~~、夫はいないようなものだからね(この辺は省略します💦)

 

よいこさん
よいこさん

母親として、子供を大学まで出して…自立させて立派な社会人になるまではってのが、母親の務めだと思っていました…けど。。。

そんな一人息子の事からやっと解放される感じでいたのかもしれない。
でも、やっと二人三脚で(息子と私と)やって来たものが
夫の一言で全部足元からすくわれて壊された感でいっぱいになり
もう絶望感でいっぱいになっていました。

 

ちょうどその頃に~~~私の体に異変が・・・。

 

そんな時です・・・なんか変だな、わたし。って思い出したの。

ちょうど息子が仕事をやめて一か月くらいあたりから

何か私の体が~~~変なんです。

 

よいこさん
よいこさん

そーです、あたしが変なおばさんです(‘_’)!

私の体に異変が~~~~~。。。

 

息子の件があってから一か月後くらい経ってから。。。

2012年4月ころから・・・体がなんか変(-_-;)

 

タイムライン的に見ると2012年って
とんでもない年でした・・・。

2012年
1月…息子の就職が決まる。
2月…入社式があり、研修期間に入る。
3月…・・・辞める(-_-;)
4月…私の体に異変が!?
5月…5月初めに激痛で入院!

あの時は息子が辞めると言い出しただけで、ちゃんとした手続きも何もした訳でもないので
簡単に取り消すことも出来たのに…夫の一言で何もかも壊れた(-_-;)

これが痛みが出る予兆と言えば予兆だったのかな・・・。

 

一番初めの違和感は背中だったかもしれない…背中に違和感があった?

そしてそれが背中だけじゃなくなってきて。。。

腰にも来た・・・らしい(って自分の体なのにね)

背中から腰にかけて重~い感じで

下半身全体がギシギシ~ギシギシ~って感じ

 

後は、座ってて立ち上がる時に

足に力が入らなくって…何て表現したら良いのかな…カクンってなる感じで力が抜ける感じ(・。・;

 

そのあとに来た症状は何だろう。

座った時にちょっとかすかにピリピリ感っていうか

そんな感じなので2012.5.3に近くの総合病院に

行きました。

(CTをとったんだっけ?)時間が経ちすぎて

っメモをしえなかったことは忘れかけています(‘◇’)ゞ

医師の説明は『骨に異常はありませんね』って事で、痛み止めを出されました。

で、家に帰ってから痛み止めを飲んでいたのですが

一向に良くなりません💦

それどころかますます痛みは強くなっていきました💦

よいこさん
よいこさん

そしてとうとう・・・。

 

倒れてから救急車を呼ぶまでの事…息子と夫が……。

 

数日前に行った病院では「骨には異常は無いです」と言って渡された鎮痛剤を
飲んで様子を見ていたんですけど・・・。

五月の連休も終わろうかと言う時に~~~。

背中 そして腰から脚の先までの
痺れるような激痛に襲われ

自宅の廊下で倒れてしまいました。
激痛でどうにもこうにも動く事も出来ずに倒れたまま・・・。

 

もう意識も薄れていくような感覚の痛みでしたね。
もう二度とあの思いはしたくないです…それくらいの激痛。。。

 

そんな中で息子と夫が何やら話してる様子が
感じ取れました。

 

慌てているような~そうでもないような~なんだ??

救急車を呼ぶとか呼ばないとか~そんな会話だったと思う。

息子が救急車を呼ぶと言ってるけど

確かに夫の声で「みっともない、近所にみともないだろ!
って言ってる。

そのあとに息子が電話機を取って夫に「救急車、呼ぶからね!」って
言っていたと思う。

 

どれ位の時間が経ったのか良くわからないけど

私は救急車で運ばれた

 

~~~~~でも、受け入れ先がなかなかなくて

たらい回し(?)みたいな事になっていたようだ(他人事 笑)

だって記憶が無いんだもん…ところどころしか (苦笑)

 

スポンサーリンク

初めての入院生活~~~そして、腰椎の椎間板ヘルニアと診断された

 

救急車の中に運ばれたまでは覚えてますけど

そこから先…ちょっとだけの意識が無いんです。

 

そしてその後のところどころ意識が・・・無い。。。

 

こんな事後にも先にも、初めての事じゃないかと思います。

 

救急車の中に運ばれて、救急隊の人が何かを言ってるなって思ったら

しばらく意識が無い( ̄▽ ̄;)

 

時はゴールデンウィークの最終日…お休みですからねぇ、どこの病院も、
受け入れてくれる病院が無かったみたいで
救急隊員さんがアチコチに連絡入れて病院を探していたみたいです。

いくつかたらい回し(?)された後に、受け入れてくれたある多摩地区の病院。
そこは大病院でもなければ、かといって小さい病院って訳でもない(でも売店がなぜか無かった)

 

入院生活などについては、次回に書こうと思います!(^^)!
(腰椎の椎間板ヘルニアと診断されたことなどなど)

運ばれてからのところどころの記憶が無い…マジでないんです。
記憶が飛ぶほどの痛み…ってゆうーか、記憶をなくしたい私がいるんだろうか??
なんて事も思ってしまいます( ̄▽ ̄;)

受け入れ先の病院では、筋肉注射や仙骨ブロックとかも
したんだそうです(笑笑)

で、どうにもならなくて入院です~ってなった💦

はじめの頃は面会謝絶になっていたらしい(マジか)
ずっと腕に点滴をされてた記憶ぐらいしかないわ。。。

ホントに長くなりそうなので、入院生活などやその後の事は
次回に回します。

 

ここまでかなり長文になってしまったので

ここから先はまた次の(入院した時の事など)ブログ記事に書きたいと思います<m(__)m>

まとまらない記事でごめんちゃい。

最後まで読んでくれて、ありがとうございます!(^^)!

 

よいこさん
よいこさん

最後まで読んでくださって(´▽`)アリガト!✰

 

以上、「よいこさんが、慢性腰痛になった経緯~その1。」

という記事を書かせていただきました。

 

!(^^)!後日、記事の追加修正することがあります!(^^)!

トップに戻る

 

スポンサーリンク
タイトルとURLをコピーしました